2022年12月:米国で今後税務調査が増えるのか?

最近、米国の会計士、弁護士等による、今後税務調査、特に移転価格の税務調査が増えると予測する記事が増えています。根拠は、8月に成立したインフレ抑制法において、内国歳入庁(IRS)へ巨額の予算追加が決定したことです。ただ、これらの専門家の記事は自分達の仕事の宣伝の為、税務執行強化を必要以上に強調している可能性もあります。そこで、今回のインフレ抑制法によりIRSの執行が本当に強化されるのか、数字等で簡単に検証してみました。

1.追加予算総額

まず、今回のインフレ抑制法でIRSに(通常の年度予算に加え)追加充当されることになった予算額は、2031年までの今後10年間で+796億ドル(約11兆円)です。一方IRSの年度歳出額は、米国の巨額な財政赤字を背景に、2012年の144億ドルから2020年は124億ドルまで減少し続けました(2020年以降はCOVID-19関連救済措置の実施等により歳出が増え、2021年歳出額は137億ドル)。今回追加が決まった796億ドルを10年均等で各年に割り振ると、年度当たり約80億ドルの増加になりますので、例えば2022年の基本歳出額が2021年と同じ137億ドルであるとすると、それに+80億ドルの217億ドルが歳出可能となり、これは2012年の144億ドルと比べても50%増となります。

2.税務執行に充当される額

この追加予算の使い道は、主に(1)税務執行(税務調査、税務訴訟対応等)、(2)業務支援(施設維持管理、印刷・郵送等)、(3)納税者サポート(税務申告のサポートや教育など)、(4)システムの近代化の4分野に充当されますが、中でも税務執行には全体の57%に当たる456億ドル(約6.4兆円)が割り当てられ、主に税務調査官の採用に使われます。インフレ抑制法成立前にIRSが組んでいた今後10年間の税務執行予算は660億ドル(約9.2兆円)でしたので、インフレ抑制法によりIRSの今後10年間の税務執行予算は69%増加することになります。

3.職員数の増加

人員面では、この追加予算をもってIRSは今後10年間で87,000人の追加雇用を行うとのことです。一方、職員の高齢化による定年退職や転職等により、今後10年間で約50,000人の人員減が見込まれています。IRSの常勤職員数は2012年の90,280人から2021年は78,661人と大きく減少していますが、今回の追加予算により、10年後の予想職員数は理論上115,661人(78,661+87,000-50,000)と、2021年比で47%増、人数が多かった2012年に比べても30%増の人員が確保される計算になります。

4.執行のメインターゲット

イエレン財務長官は、今回のIRS予算増により所得が40万ドル未満の納税者(個人、法人問わず)への調査を増やす事はないと述べています。ということは逆に、所得が40万ドル以上の納税者は税務調査リスクが高まることを認識する必要があると思われます。更に、IRSが注力するのは所得移転、租税回避が行われる可能性が高い分野になりますので、米国外への所得移転が発生しやすい関連者間取引に係る移転価格の税務調査は増加すると考えられます。

5.移転価格税務調査ガイダンスの発行

2020年9月、IRSは「Transfer pricing examination process」というガイダンスを発行しました。これは税務調査官向けの移転価格税務調査ガイダンスですが、納税者にも開示しています。本ガイダンスによると、移転価格税務調査は(1)プランニング、(2)執行、(3)解決(更正通知書の発行及びその後の訴訟等への対応)の3つのフェーズから成るとしており、中でもプランニング・フェーズ(税務申告書等から税務リスクが高い納税者を特定)と、執行フェーズにおける移転価格文書の分析の重要性が特に強調されているようにみえます。本ガイダンスが発行された時期はコロナ禍で米国でも実地の税務調査は制限されていた筈ですが、その代り机上作業であるプランニング・フェーズは着実に進めているものと予想されます。

所見

インフレ抑制法は成立したものの、巨額の財政赤字を抱える米国が、本当にこのような大幅予算増を実現できるのかという疑念は残ります。しかしながら、前記各要素を勘案すると、今まで税務調査が入っていなかった米国法人でも、特に売上高に対し相応の関連者間取引額がある現地法人の場合、税務調査が行われる可能性は高まってきたと考える方がよいと思います。万が一更正課税を受けた場合、移転価格文書を提出できない、又は提出しても同文書が税制上の要件を満たしていないと、追徴税額に最大+40%のペナルティが賦課されますので、やはり適切な移転価格文書を適時に作成しておくことが、最大の移転価格税務調査対策であるといえます。

 

(執筆:株式会社コスモス国際マネジメント 代表取締役 三村 琢磨)

(JAS月報2022年12月号掲載記事より転載)